理事長あいさつ

 理事長 神馬征峰
一般社団法人 日本国際保健医療学会 理事長
東京大学大学院・医学系研究科・国際地域保健学教室教授
神馬 征峰

本学会が設立されたのは1986年。「国際保健」という言葉がさほどまだ語られざる時のことであった。「国際保健」が大いに語られる今、まずは「語られざる国際保健」の頃に立ち戻り、それからさらに一歩先に進むべきである。

今をさかのぼること約100年前の1919年、京都帝国大学文学部哲学科にいた三木清(当時23歳)が執筆した「語られざる哲学」というエッセイがある(三木清:人生論ノート 他二篇 角川文庫, 2017 P173-266)。冒頭の文章にある「哲学」という言葉を「国際保健」と入れ替えて紹介したい。

「講壇で語られ研究室で論じられる国際保健が論理の巧妙と思索の精緻を誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる国際保健は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる国際保健が多くの人によって読まれ称賛されることを求めるに反して、語られざる国際保健はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲する・・・語られざる国際保健は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない国際保健である。なぜならば語られざる国際保健の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである」

読み進めていくと、三木清は中盤で哲学者を三つの型に分類する。頭のよい哲学者、魂の秀れた哲学者、真に偉大なる哲学者の三つである。

「・・・いわゆる講壇的哲学者には頭があっても魂がない・・・彼らは声高く教えようとする、彼らはうずたかき文献を作ろうとする・・・しかし惜しいことには・・・それらを深める魂が欠けている・・・彼らは人の驚きを買うことができても人の愛を得て人を感激せしめることができない・・・。・・・魂の秀れた哲学者とは永遠なるものに対する情熱の深き人々である・・・彼らは自己の魂と共に他人の魂をも高めることが出来る人々である・・・いかにも彼らの哲学は論理の厳密と連絡の緊密を欠いているであろう。けれども・・・彼らの哲学は不思議に人を感動させずには措かないものをもっている。・・・真に偉大なる哲学者とは、・・・上にあげた二つの条件を円満にして高き程度の調和において兼ね備えた人に与えられるべき名である・・・私が根本的に求むるものは哲学を知ることではなくして哲学を生きることである」

この引用文の中の哲学者を国際保健の専門家と置き換えて読み直していただきたい。1986年、本学会は魂の秀れた人たちによってつくられた。また33年を経た今、多くの若者が、魂の秀れた人として入会してくる。この若き担い手をいかに育て上げていくべきか?本学会は今後いかなる道を目指していくべきか?

23歳の三木清が100年後の日本に住む私たちに向かって語ってくれたでもあろうメッセージ。それを真摯に受け取り、国際保健をいかに生きていくべきか、学会員の皆様と追及していきたい。

 
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